80年代後半から90年代前半にかけて黄金期を築いていた同じ街のライバルチームとは対照的に、60年代の黄金期が終焉して以降のネラッズーロは、長期間低迷に苦しんでいた。そこでチームの復活を託されたのが、かつてトリノのライバルチームで黄金期を築いた指揮官であった。しかし、その手腕を期待されていたものの、最初の2シーズンは思うような結果を得られなかった。
転機となったのが、1988-89シーズンのノテウスとフレーベルの二人のドイツ人の獲得である。彼らの持つゲルマン魂がチームに勝負強さを植え付け、生え抜きのイタリア人選手らとともに、当時の最高記録の勝ち点でリーグ優勝を果たす。翌シーズンにはもう一人のドイツ人、クロースマンを迎え入れ、ライバルチームの「オランダ・トリオ」に対し、「ドイツ・トリオ」を形成するようになる。
中盤にはセントラルMFのポジションを開拓したノテウスが攻守に渡ってフル回転しチーム最多得点を記録。左サイドバックのフレーベルは幾度もゴール前にクロスボールを供給し続け多くの得点機を演出。そして前線にはドイツ屈指の点取り屋クロースマンが待ち構える、というドイツトリオを中心とした盤石の布陣が整い、再び黄金期の再来かと思われたが、それも一瞬の栄光に過ぎなかった。
1990-91シーズンに欧州のカップ戦のタイトルを獲得するも、守備を最重要視する指揮官は、結果は残すが攻撃的なサッカーは滅多に行わず、ファンの「つまらないサッカー」との声に押され解任される。その後、2005-06シーズンにリーグ優勝するまで迷走が続くこととなった。
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